大学入試も終わり合格者も決まり、年度の変わり目も近づいて、うちの大学としては目下受け入れ準備を着々と進めているところ。昨日は卒業式だった。トロンボーン科からは3人の卒業生を送り出すことが出来た。新年度の藝大トロンボーン科は学部にテナートロンボーン専攻4名と別科テナートロンボーン専攻1名の5名をお迎えすることになった。1学年として5名は、私が赴任して最大人数です。賑やかになりそうです。
一方で今年合格出来なかった生徒さんもいて、望みが叶わなかったのは本当に残念で辛いものと思う。私には浪人の経験がないので、真に共感できるわけではないかもしれないが、特に今年は私も色々考える機会となった。
閑話休題。mixi日記をいまだに細々チビチビと書いていて、そこでのみ私と繋がっている人たちもいます。そのmixi日記で、浪人が決まった受験生に面談をして感じたことを書いたところに、およそ36年以上前にレッスンしていた教え子からコメントをもらった。
彼もかつて藝大を志望して、私のところに習いに来ていた。しかし、当時私はまだどこの大学でも教えた経験もなく、ただトロンボーンのレッスンのみをさせていただいていたと言う状況。おそらく私の門下、藝大志望のレッスン生の2人目あたりか。頑張って遠くからレッスンに通って来ていたが、希望叶わず1浪という結果になってしまった。私自身、今回同様力及ばずの実感があったので結構落ち込んだ記憶がある。
若い頃は、一つのことにすごい熱量を持って打ち込むことができるが、反面周りが見えないという性質を持つと思う。しかし夢を叶えるために物事に没頭できる、今となってはとても幸せな時間でもあった。でも結果は残酷なものになったり、良かったというものになったり、特に我が大学は入学定員が少ないので、ご存知の通りなかなか難しい。
受験生との面談で分かったことは、その子もやはり、近くの未来のことまでしか考えられていなかったということだ。自分も高校卒業あたりはそうだったと思うが、今は経験というもののおかげで、若い頃に比べれば視野を広く持つことが出来ていると思う。
今の私が、生徒に伝えることがあるとすれば、広い世界や、外側から自分を見る、いわゆる「俯瞰」するという概念を持とうということ。自分のことを長い時間軸の中で俯瞰すること、客観視することを、完璧でなくて良いので、そういう視点があるのだというヒントを理解してもらえれば嬉しい。
浪人の1年間がその人の人生において、無駄にならないように、むしろ貴重な経験としてプラスになるようにとらえ、考えて欲しいものだ。
私と36年前の受験生だった教え子と、浪人するにあたって「俯瞰する」ことの大事さと言う点で意見が一致したと言うお話でした。