ソルフェージュとトロンボーン

学生や受験生のレッスンをしていて気がついたことの記録です。あくまで記録が目的で、誰かを晒したり批判的なことを書くことが目的ではありません。

随分前の学生のレッスン時に、その学生が持っていた課題に対して深掘りしながら話をした時に、音符を見てどのようなプロセスで音を出すのか聞いてみたくなった話。

普通に考えると「音符を見て階名で音程を認識し、リズムや音価を判断して心の中で音程付きで歌い、あとは右手が適切なポジションに移動して、歌ったような音を出す」みたいなものかと思うのだが、その学生は「音符を見たらまず音そのものが頭に浮かび、それを聴音して音名を認識してから音を出す」ような話だったと思う。少し複雑で時間がかかるようなやり方だなと思った。

かく言う私のプロセスもそれなりに変わっていて「ヘ音記号をin B♭で読み、階名を認識して音程を取り、リズムや音価を判断して頭の中で歌い、音にする」と言うもの。いわゆる「ベー読み」。

つい先日、𝕏(旧Twitter)で、in Cで書かれたト音記号の音をどうやって読むかと言う話を書いたばかりだが、私は、若い頃に比べてだいぶ薄れたとはいえ、今でもin B♭の絶対音感が何となくあるので、ト音記号であろうと、ヘ音記号であろうと、テノール記号やアルト記号であろうと、「シのフラットをドと読む」ことで、音程をかなり明確にイメージできるので、それで何となく凌いでいる。

先ごろ受験生を見ていて、「楽譜をどう読んで、脳内で、どう言うプロセスで音にしているか」について、深掘りしてみたところ、やはり問題が見られたと言うか、改善した方が良いと思う事例があった。

それは、楽譜を見て音名や階名で音程を認識することなく、シのフラットは第一ポジション、下向きのスケール、など、楽譜の図形を見たら、図形の形から読み取って直接手を動かしているようだった。その子は音に癖と言うか、硬さがあり、どうしたものかずっと試行錯誤していたが、「音符を見たら心の中で、まずは階名で歌い、それから音にする」と言うソルフェージュの伝統的プロセスをやってもらったところ、音の硬さが取れ、丸味が感じられるようになり、更に音色感が豊富に感じられるようになった。

当然受験勉強をやっているので、副科のピアノやソルフェージュのレッスンも受けているはずだが、今までは脳内で歌って吹いていないので、せっかくのソルフェージュの勉強が、トロンボーンの演奏に繋がっていないと言うこともわかった。

ソルフェージュは、コールユーブンゲンや、コンコーネなど、楽譜を見て、楽器の力を借りずに音程をつけて歌うことが基本。本当に長い年月の間、ソルフェージュの教育が行われてきて、効果が上がっている方法だから、その通りに演奏しているものと思って、私も油断していた。

更にもう一人の子も、脳内で歌わずに吹いているようだった。そちらの子は、タンギングが不明瞭か、強すぎるか、どちらかに偏ってしまうのだが、まずは頭の中で、ソルフェージュして、「ターターター」とか、「タラタタタ」とか、アーティキュレーションをつけて、自分のセンスで丁度よく歌ってもらい、それを音にするよう訓練してもらうことにした。いわゆる言語中枢を使ったような形で演奏できれば良いなと思う。

少なくとも自分は「ベー読み」ではあるが、音符を見て音を具体的にイメージしてから音を出すようにしている。「音をイメージしてから吹く」と「歌うように吹く」と言う、昔から幅広く言われていることが、良い演奏のためには必要だと証明されたような気持ちだ。

大学教師がトロンボーンの学生を教えることの周辺域 楽器編⑤

楽器とサウンドを考える5回め。楽器編は一応ここいらで、一区切りにしようと思います。

楽器は作業着や体操着、洋服のようなものだと書きましたが、今回は自己のサウンドが確立される前の段階にいる受験生の場合です。

現代の楽器は、メーカーの皆さんの努力によって、本当に良い鳴りで、音程も良く、倍音のバラつきも少ない素晴らしいものが増えました。

しかし、そのトレードオフとして、フィットするプレーヤーのタイプは狭くなってしまいました。逆にフィットすれば、きっと演奏や音楽性の上達のために素晴らしい体験ができると思います。

受験生や、まだまだサウンドが出来上がる前にある学生の場合、やはりビッグウェーブを潜り抜けて来た、スタンダードな楽器というのが、選ぶポイントになって来ると考えています。

例えば、私が永年使って来たV.BACHだと42Bのシリーズが代表的なものかと思います。F管への切替のヴァルブ機構は様々ありますが、好みで良いと思います。大きめで動きやすい体操着なタイプの楽器で、本人が成長すればそれなりにちゃんと反応してくれて、良い音が鳴った時に、サウンドの芯を感じられて、心地よく響いたと感じられることが、大事かなと思います。

若い段階では、ピアニッシモも大事だとは思いますが、まずは大きい方向のダイナミクスを無理なくバランスよく広げていきたいと思うので、フォルテ方向の入力耐性が高いことも、楽器にとって大切な要素だと思われます。

いずれにしても、音域が広くて、ダイナミックレンジが広くて、音程が良くて、反応が良くて、誰が吹いても超素晴らしいサウンドが出せる楽器があれば良いのですが、実際はそんなの無いので、不足しているところは、自分で努力してカバーしていければ良いと思います。

大学教師がトロンボーンの学生を教えることの周辺域 楽器編④

受験生から音大生、プロになるまでのあたりのサウンドと楽器について考える4回め。

大学で誰か1人が話題の新しい楽器を買ったりすると、みんな、なんだかソワソワして、自分も買い替えたくなる気持ちは、よくわかりますよ。自分もそうだったから。藝大では過去に、何度か楽器買い替えのビッグウェーブ(笑)が到来していて、コーンたったり、クルトワだったり、エドワーズの楽器が一気に増えた時期がありました。

今はそのビッグウェーブを越えて、百花繚乱の時代か。その代わりに、学生はちゃんと相談しにきてくれるので、すごく時間をかけて考えることになります。

楽器というものは、僕のイメージでは洋服や作業着、体操着のようなもので、体を作っていく成長段階では、ある程度動きやすい、余裕のあるサイズのものを選びたいと思います。本人のサウンドの方向性が固まって来て、それまでの楽器にある種の窮屈さ、違う方向性のサウンドを求める感覚が出来てきたら、買い替え時と判断してます。

流行に乗って買いたいのは、基本的に賛成はしてませんが、お金があるならどうぞという感じです(笑)

大学教師がトロンボーンの学生を教えることの周辺域 楽器編③

主に受験生から大学専攻生あたりを念頭に書いている3回目。楽器選びやサウンドの好みなど、様々な考え方があろうかと思うので、ここに書くのはあくまで私個人の見解と言うことでお願いします。

私が高校生の頃に、福岡の三好先生のレッスンで、日常的に言われていたことで、優れたプロの奏者になるためには、優れたプロの音にならなければならない。その人が持つ音そのものが最も重要である(仰り方はもう少し優しくて違ったと思う)と。これは今も私の考え方の中心にあります。

同じ楽器、同じマウスピースを使ったとしても、奏者が代われば明らかに音は変わる。奏者が同じなら、楽器やマウスピースを変えても、結局はその奏者の持っている音に近づいていく。でも、楽器と共に変化する部分は当然あるとは思います。

それぞれの個性的なサウンドは、奏者自身の感覚や経験、理想とする音のイメージなどによって長い時間をかけて出来上がっていくものだと思う。

大学教師がトロンボーンの学生を教えることの周辺域 楽器編②

前回、楽器やマウスピースの飛躍的進歩によって、昔に比べて一つの仕様あたりのフィットする奏者のタイプの幅は狭くなって来たと書きました。

それで、近年は、アマチュアの方や、プロが楽器を選ぶということと、受験生や音大生の楽器選びということの違いを考えています。

昭和の頃の音大生のトロンボーン選びというものは、ザックリ言ってみれば3種類ほどの選択肢しかなかったので、どれかの楽器をしっかり使い込んで、なんとか自分の音と、目指すプロの音の違いを見つけて、足りない部分を埋めるべく音作りをして行く作業が必要だったし、試行錯誤があって、それは今でも大切な勉強だと思う。

現代の楽器選びは、ありとあらゆる情報が溢れている中で、恐ろしくバリエーションの広がった中、自分に合う楽器を選ばなければならない。これを、まだまだ自分の音が出来上がっていない受験生や、音大生が、間違いなく楽器を選択することは、かなり困難と言えると思う。

自分の求める音が明確にあるか、または好きなプレーヤーが使っているからという理由で同じ仕様の楽器を購入するのは、それほど難しくないと思われるし、それなりに価値があると思う。だから、プロやアマチュアの皆さんにとっては、価格を除けば、選択肢の広い良い時代になったのではないかと思う。

このところの円安をきっかけとした価格の値上がりは、もう驚くというより、諦めの感情になる。だからこそ、受験生や、音大生などの専門家を目指す人たちは、慎重に楽器を選ばないといけないと思う。

大学教師がトロンボーンの学生を教えることの周辺域 楽器編①

何やら回りくどい書き始めになりましたが、大学のトロンボーン教師としての考えとか、経験、知識、思いなど、その周辺域を含むあたりを徒然に書いていこうかと思います。なので、経験値を記して行くようなイメージなので、誰か特定の人を上げるようなことは避けつつ、また本人の許諾がある場合は載せたりと、柔軟にやるつもりです。

で、一本目は楽器の選び方。これについては旧ブログに苦情を言われたので、慎重にならざるを得ないところだけど、生徒の成長にとって大きな要素なので、時々取り上げたいなと思っています。

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、現在の藝大トロンボーン科の学生の使っている楽器(メーカー)は、ほぼバラバラです。

私が学生だった頃(昭和後期)は、BACH、CONN、がメインで、HOLTON、YAMAHAがそれに続くと言う感じでしたかね。大雑把に言うとBACHの42BかCONNの88Hの2派に分かれる感じでした。

そんな中私は高校の時、もとN響の関根五郎先生に選定していただいたBACHの42Bを、大学卒業して新日フィルに入団するまで使ってきました。

それからマウスピースも、吹き心地やサウンド感を左右する重要なピースなわけですが、恩師の永濱幸雄先生にいただいたBACH 6 1/2 ALを高校生の頃から、プロになってからもずっと使って来ました。

現代においては、楽器のメーカーも世界中に広がり、マウスピースも多数のメーカーから信じられないほどの種類が発売されています。

私は管打コンクールの審査員を、ありがたいことに、これまでに何回かさせて頂いて、この十数年の日本の若きトロンボーン奏者のサウンドや楽器の変遷を直に見て来た実感として思うことがあります。それは楽器の進歩により国際化が急速に進んだなと言うことです。

楽器のメーカー、各楽器の仕様のバリエーション、そして、マウスピースのバリエーションの多彩さ。使うべき楽器の仕様の組み合わせは、ほぼ無限大という時代になって来て、選ぶ方からすると、選ぶ力と根性があれば、より自分の好みに合ったものを選ぶことが出来る環境になった。

しかし、逆に楽器の側から見てみると、一つの楽器の仕様あたりのフィットするプレーヤーのタイプは、昭和の頃に比べると恐ろしく狭くなっていることに気がつく。

昭和の頃は1つの仕様で幅広いと言うか、ほとんど吹き手を選ばないような汎用性があった。いわゆる現代まで脈々と続くスタンダードなタイプの楽器。

新しいタイプの楽器は、一つの仕様あたりのフィットするプレーヤーは恐ろしく少ないが、自分に合った仕様が見つかると、とても幸せになれるし、フィットしなければ、それは不幸ということになる。

とまあ、今はこんなことをつらつらと考えています。