広狭の視野と心理(仮題)

ずっと気になっていることを文字にしてみる試み。きちんと伝わるか何かと不安だが、とにかく文字にしてみよう。

昔々、オケの旅仕事で毎日ホテルに泊まっていた時にふと思いついたことが、その後の仕事や人生で、ことのほかいろんなことの思考の元になっていて、何か良い言葉で定義できないかと思っている。例えば「〇〇の法則」「〇〇効果」「〇〇バイアス」とか。多分心理学の分野で何か似たようなのがあるのではないかと想像。もしご存知の方、ヒントでも良いので、ご教示いただければありがたい。

例えば、旅先のホテルで朝起きて、ホテルの窓のカーテンを開け、シャワーを浴びて、外を見ながら体を拭いたり着替えたり、、、レースのカーテンをしていれば、特に外から覗かれることを気にすることも無いのだが、何しろ狭い室内から広い外界を見ている時の心理状態は、たくさんの人から覗かれているような感覚があった。

かたや、ホテルの外から自分の泊まっている部屋を探して見てみると、大きなホテルほど、部屋数全体に対してひと部屋が小さいので、カーテンが開いているかどうか、どうでもいいと言うか、全く気にならない。

この、狭いところから外を見た時の、外から自分をどう見られているのかと言う、まるで不特定多数の人から見られているような多少不安な心理状態と、広いところから見た、小さく狭いところにいると仮定した自分を見た時の心理状態の差、これを何とか定義できないかと考えている。「井の中の蛙大海を知らず」と言う諺とは微妙に違うか、広義に同じなのか。

その辺りから考えて、今は人間関係などに悩む学生や、またこれから世に出ていこうとして不安がっている学生にかける言葉に「自分を俯瞰することが大事だよ」と言うことがある。自分が抱えている問題は、狭い大学内のコミュニティにいた時から広い所へ出て、社会全体から自分はどうなのかと考えた場合に、実は大した問題ではなくて、もっと周りを広く見られるようになれば、自ずと何をどう為すべきか見えてくるよと言うような話。

自分がずっと憧れているアイドルの握手会やサイン会のことを考えてみる。ずっと憧れだった方のサインをもらい、握手をして、写真を撮ってと、ファンの立場としては、人生の中でも、ものすごく大きな出来事になるし、そして、ますますファンになる。対してそこでサインや握手をする側の気持ちを考えてみる。そのアイドルがお仕事でやっているのか、心から感謝の気持ちでやっているのか、ここでは全く別にして、物理的にどうかと言うことを考える。100人にファンサービスを行うとして、そのアイドルにとって、行列に並んでくれたファンの皆さんは、平等に大切なはず。だから、ファンとしての自分の人生では大きな出来事になるが、アイドルからすると、自分はその日の100人のうちの1人という事になる。

他の例。病院で診察を受ける時、具合が悪い患者としては、医師のちょっとした言葉に一喜一憂してしまうことがあると思うが、医師の側からすると、朝一の患者と、何十人も診察した夕方終わりの方の患者では、仮に同じ症状でも、医師も感情を持った人間だから、全く同じ言葉をかけると言うことは無理だと思う。しかし患者は一時が万事なので、医師のちょっとした一言で不安を通り越して不信感を持つことすらあると言うのが、患者側の心理だと思うが、医師の側に立てば、きちんと診断して適切な処置や処方を出すことこそが大切なのであって、患者としてそこは広い目で見ないといけないなと思う。

それから、学生が初めてプロオケに呼んでもらって練習に参加するような場合。学生にとってはプロの中に入っていくのは、心理的には大きなハードルになるが、オーケストラの業務全体から見たら、新人のエキストラが入ることはよくあるし、全くの日常であるので、学生はそこでことさら不安がるよりも、もっと自分の置かれた状況を俯瞰して、何をやるべきか考えられたら良いと思う。初めて参加した学生も、いちエキストラなわけで、やることは、周りときちんとコミュニケーションとって、良い音楽をやること。これにつきる。

他にも例を挙げると、本番で1音でもミスしてしまった時に、ものすごく大きな事と感じやすいが、2時間の演奏会全体で考えると、実は大した影響はない場合が多い。もちろんミスはやってはいけないけど、人間だからどんな名人でもミスはしてしまう。大切なのはそれを気分的に引きずる事なく、瞬時に切り替えて、良い演奏を目指す事。自分中心の狭い視野だと、ミスを引きずってしまい、必要以上にショックを受けてしまうが、全体から俯瞰できれば、重要なのは、すぐ切り替えてどうリカバーするかの方が大事。

オオタニショウヘイ選手が今まさに世界中の何億人から注目されていると思うが、本人のメンタリティは、何億もの注目をまともに受け止めると言うより、自分の目の前のやるべき事に集中できているから結果が出ているのではないかと、勝手ながら想像。

以上、あまりうまく説明できていないのだが、また他の例を思いついたら書いてみようかと思う。自分を俯瞰する事に関連したことを思いついた言葉で言うと、「井の中の蛙大海を知らず」とか「一時が万事」とか、近いニュアンスではあるけど。

まあ、私自身は、この考えに至るまでに相当な時間を要してしまい、若い頃の自分の反省文みたいになってしまった。要するに、周りが見えていない視野が狭い状態では、不安でオドオドするわけで、視野を広く自分の立ち位置を俯瞰できれば、落ち着いてやるべきことが見えて来るのではないか。その視点、視野の違いは大きいという話。

何かこの件についてご存知な方いらっしゃったら情報お待ちしております。

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