僕には友達がいない?

「僕には友達がいない」と言うavexの経営者である松浦勝人さんのnoteが目に止まったので、感じたことなどを記しておこうかと思う。

自分とほぼ同年代の、著名な経営者の方が、すごく単刀直入に人間関係についての本音を述べられていることに感銘を受けた。普通はあっちをこうだと書けばこっちからは苦情が出るみたいな、世の中そんなところで生きているような感じがしていたので、割り切りのある物言いに惹かれた。

内容を要約すると、松浦勝人さんの人間関係についてのエッセイで、成功すると人が寄ってくるが、その多くは利害関係で近づく人。本物の友達は利害がない人だけ。利害を挟まない関係を大事にし、寂しさは立場との引き換え。それでもいいと述べられている。

私は経営者ではないし、読んでみて共感するところと、もちろんそうでないところもある。いわゆるいつでもワイワイできる友達がいないと言う部分では、ある種の共感と私も孤独を感じているのは事実。

X(Twitter)なんかでは、人間関係に悩む人にアドバイスを送るようなアカウントが、実にたくさんあって、無理に関係を維持しようとしない方が自分のため、また、自分に対してある種のマイナスの感情を抱かせるような人は、無理に追わないようにしよう、距離を取ろうみたいな、無理するなと言う論調が多い。

しかし、簡単でないのは、トロンボーンなどのフリーランスの金管プレーヤーの世界は、友人知人上下関係と演奏仕事関係の利害が重なっているところがあって、関係が薄れる=仕事が来なくなるみたいなことがあって、それを、すごく恐れることはあるかと思う。

例えると大学出たての昭和後期の頃の飲み会は、イッキイッキの全盛の頃で、飲めない私は、周りの雰囲気に必死に耐えていたような記憶しかない。それは先輩後輩利害関係のある人たちと打ち解けて信頼を築くという意味においては、必要なことだったと思う。

大学の教員となった今は、飲み会自体は嫌いではないが、そういう付き合いもすっかり無くなってしまった。学生達と飲みに行くことは、年に数えるほどではあるが、学生に対しては、飲むと言うより、普段のレッスンでは見られない、学生達の一面に触れるのが楽しい。

『一番怖いのは、寄ってくる人間じゃない。おだてられているうちに、感覚がずれていく自分だ。』

先生と呼ばれることに、今は抵抗感が薄くなってしまったが、プロになりたての頃に、特に楽器販売関係の方々などから、先生と呼ばれることに、本当はかなり拒否感があった。教えるのが本業でもないのに、なぜ先生と呼ばれるのか、不思議でたまらなかった。

近頃役所で議員のことを先生と呼ばないように改革する動きがあって、「先生」ではなく「さん」付けにすると、議員と役所職員の関係性が変わって来るとも言うし、松浦さんも述べているが、先生と呼ばれていい気になることには、常に危機感を持っていなければいけないと思う。

あと数年後になるが、私の退職後は先生と呼ばれなくなって、普通のオジサンに戻れるのだろうか。