今年も福島県の伊達市を訪れることができた。大震災の後、コロナ禍での中断はあったものの、今回で合同演奏会は11回目を数える。
2012年に音楽による復興を願って始まったこの催し、今では地元の小学生から社会人までの吹奏楽団と合唱団のみなさんを巻き込んで、大きな催しとなった。内容は藝大生と教師が伊達市に赴き、吹奏楽の指導と演奏、そして合同演奏会で一緒に演奏するというものだ。
私は2013年から参加させてもらっているが、この13年ほどを振り返ると子供達の表情やリアクションが、とても明るく元気になって来たのがこの事業の成果を示している。もちろん復興を頑張って来られたのは地元の方々であって、私たちの音楽関連のお手伝いが、どれほどの効果があったのかはわからない。
今回初めて、この事業に最初からずっと関わって来られた山本正治先生から、この事業が始まるきっかけについてのお話を伺うことが出来た。
2011年大震災直後、被災地の惨状が連日報道され、余震に怯え、そして原発事故の放射能汚染に不安になっていたころ、当時都響の団員だった私もふくめて、音楽家の多くは、被災地で、我々に出来ることは何かないか、音楽で気持ちの上での安らぎを届けることは出来ないか、何か役に立てないものかと常に考えていた。
しかし、交通や宿泊などが止まっていたこともあって、個人で素早く実行に移すことは、なかなかにハードルの高いものだった。被災地での演奏会が行われるようになったのは、だいぶ後になってからだったと思う。それまでは、自衛隊の音楽隊の皆さんが、積極的に活動されていたのがとても印象的で、困難な状況の中、本当に素晴らしい活動をされていたと思う。
当時の藝大(私が赴任する前年)の学内でもそんな雰囲気だったのかもしれないが、山本先生のお話によると、ファゴットの学生と、トロンボーンの学生2人が「藝大としてぜひ被災地に行って、何かやりましょう」と言って来たのを受けて、山本先生が知り合いの政治家さんに話を繋ぎ、そして文部科学省から被災地の各自治体に話をしたところ、伊達市が手を挙げて下さったので、そこから大きな枠組みとして「きらめき事業」と銘打った吹奏楽による復興支援事業がスタートしたとのことだった。学生のあげた声も良かったし、それをきちんと受け止めて事業化して繋げてもらえたのも、凄く良かったと思う。起点は学生の行動だったのだ。
その声をあげたトロンボーンの学生は、私の赴任後大学院に在籍していた鳥越崇裕君(お名前を書くのは本人了承済み)。今は高校の先生としてご活躍中だが、藝大トロンボーンアンサンブルのYouTube動画で最も多く再生されているチックコリアの「スペイン」を編曲、プロデュースした彼だ。人間的にとてもクールでしっかりした考えと行動力を持った彼が、きらめき事業の発端だったと聞いて、とても納得したし、教師としてもとても誇らしい。山本先生から素晴らしく良い話を伺うことができた。
それで、偶然なことに、伊達から帰って来た翌々日、鳥越君が学内のイベントの司会をするために大学に来てくれると言うので、この件についての話をワクワクしながらたずねてみたところ、、、
驚いたことに、そこで彼の口から聞いた事実は、全く逆だった。
前述の通り、震災直後、音楽家たちはこぞって被災地に行って、音楽の力で何か役に立ちたいと強く思っていたが、藝大の学生もそうだったと。
しかしながら、交通や宿泊のインフラも寸断され、また被災地の方々の心境としては、毎日生きていくのが精一杯で、音楽どころではない、来られても邪魔だ、受け入れ態勢もないと言う状況だったのを察知した鳥越君達は、このままでは、学生達が勝手に被災地に入って、迷惑をかけ、ひいては藝大の評判も落とすことになりかねないと強い危機感を持ったと。
「山本先生、大学としてきちんと受け入れ体制の整ったところに支援に行くことにしてください、そう言う体制を作って、勝手に動く学生を止めてください」と直訴したと言うのが、真相だったとのこと。
本当は逆だったのである。なんとなんとそんなことがあったのか。
あの震災後、日本中大変な苦労をしていたところで、大学の中でも出来ることを精一杯やって、結果15年経った今もこうしてきらめき事業が続いていると言うこと。前回投稿の前の市長さんのお話と言い、多くの地元の熱意ある方々の気持ちと行動が、今もなお続く復興支援事業となったのだと、私は改めて、この奇跡的な顛末に感動し、感謝の気持ちを持った次第。