東京オリンピックの前年、佐賀県佐賀市で音楽の教師だった父と、専業主婦の母の家庭に生まれた。
父が近所の子供にピアノを教えていて、子供達がレッスンを受けているのを父の膝の上で聞いているのが好きだったらしい。ピアノを聞くことや、音楽が好きな子供だった。音当てが得意だったそうだ。
小型のレコードプレーヤーに興味を持っていて、おもちゃにして分解してしまったらしい。そこはなんとなく記憶がある。針(アームごと)を持って、レコード盤を引っ掻いて音を聞いていた。メカっぽいものも大好きだった。
幼稚園に入り、オルガン教室に入れられたが、自分には苦痛だったことと、教室の中で孤独だった記憶しかない。あまり続かず、結局父からピアノを教わっていたようだ。当時から引っ込み思案で、自分から友達を作りに行くことができなかった性格で、それは今も変わらない。
幼稚園の卒園式で、なぜか一人でピアノを弾いた記憶がある。「マーチ」と名前のついた簡単な曲。実は今でも弾くことができる一生モノのレパートリー。ピアノはその後、練習嫌いなうえ、上手くなれないのに我慢ができず、小学校に進級したら辞めてしまう。今思えば、細々とでも続けていれば、音大受験の時の苦労が激減していたのは言うまでもない。今のレッスン内容も変わってきていたかも。悔やまれるところ。
父が音楽の教師だったと言うのが、私が音楽に興味を持った大きな要因だったことは間違いがない。