書いて良いものかどうなのか。小学校の頃の黒歴史的なことを書いてみるので、不快に思われたら読み進めるのはやめてください。
このことは、はじめて文章にします。人名や固有名詞は出てきても変えてあります。
実は、小学校の時に習った先生に、酷いいじめを受けていた。何故嫌われていたのかは今でも全くわからない。ただ、想像するのは、優等生ぶった子供が嫌いだったのかもしれないと言うこと。もちろん自分にそんなつもりはない。それとも同僚・同業の父親と職業上何かあったのか、、、優等生ぶった子供を嫌う大人に、後々人生であと一人大事な局面で出会ってしまうが、それはまた別の機会に。
私は、自分の内面を表に出すのがとても苦手で、今でも苦労するところ。父親が小中学校の教師だったことのマイナスな面として、どんな先生が担任になられても「君が古賀先生の息子さんか?」と必ず言われる。佐賀は小さな都市なので、すぐに面が割れる感じであった。そうすると、私は、父の立場を考えたのかどうかわからないが、反射的に良い子でいなければならない(演じなければならない)と言うことに縛られて萎縮してしまったのだ。
そんな感じなので、小学校の6年の間はほとんど学級委員と言うものをやらされていた。自習中にクラスが騒がしくなってくると「静かにしてください!」と言う、皆んなに嫌われる係である。一度そう言う学級委員・優等生のレッテルを貼られると、誰もやりたくないものは「古賀君にやらせておけばいい」と言うことになってしまう。自分だって本当は一緒にワイワイやりたいと本音では思っていても、それができない。そんな抑圧された感じの小学生だった。学級委員に選出された日は、泣いてうちに帰って来たそうである。じぶんにはあまり記憶がないが、母の話。
A先生とするが、教室に来るや否や、まず私に何か無理矢理にでも発言をさせて、その事について、ネチネチといじめてくる先生がいた。何か答えればそれをもとにいじめるし、答えられないと「おとなしいと言うのは馬鹿だということ」などと、それはそれで1時間分の授業の時間を使ってお説教。教科の内容と関係ない事をネタにずっと説教された。今考えてみても全く理不尽な、陰湿極まりない、言葉でのいじめであった。お小言を聞かない授業はなかった。
たまに風邪をひいて欠席をした翌日などに、友達に授業の様子を聞くと、「A先生はすごく機嫌良くて、普通の授業だったよ、すごく進んだ」などと言われ、それは落ち込んだものだ。みんなに自分のせいで迷惑をかけているという思いが強かった。
これが2年ほども続いたわけだが、もともと我慢強い私もさすがに悩みは深かったが、誰にも相談はできなかった。
ある日の帰り道に、ふと横断歩道を渡るときに「ここで車に飛び込めば楽になるな」と、ごく自然に、当然のことのように、なめらかに頭に浮かんだことがあった。今まで本気で自殺しようと考えたことはないつもりだが、あの時ばかりは、ブレーキをかける気持ちが全く無い、すっきりした状態だったのが、今思い出しても恐ろしい。そんな小学校での黒い思い出。思いとどまった理由は、記憶にない。
A先生はその後どうされているのだろうか。もちろん、今でも会いたくはない。
へぇ~ そんなことあったんだ🤭クラスは一緒じゃなかったから知らんかったわぁ
まぁひょうきんが売りの僕、でしたから、そんな真剣な悩みなんてまるでなかった。
悪いことをして両耳をひっぱりあげられて耳から血が出だことがあったなぁ 女の先生、ヒステリーかなぁ 笑笑
まあイジメは本人が言わないとなかなか表には出ないよね。今だとイジメとかハラスメントとか言葉で言われると、自分もそうかと思うんだけど、当時はそんな言葉も無いし、周りは、また先生が小言を言ってるとか言ってたね。