小学校の金管バンドと喘息の話

小学校5年の頃、私はそれまで治っていた小児喘息の発作を起こしてしまい、体力づくりのために主治医と親の指示で、金管バンドを離れてミニバスケットボールのクラブに入れられた。

ミニバスケットボールとは、12歳以下で行われるバスケットボールで、子供の体格に合わせてコートの大きさやゴールの高さ、ボールの大きさなどが小さく設定されている。当時の勧興小学校のミニバスケットボールのチームは、私の記憶では、男女とも日本でも有数の強豪チームで、私などの運動神経が鈍くて肥満気味の生徒が入っても、活躍する隙間はどこにも無かった。準備、球拾い、後片付けが主な日課だった。

当時、バスケ部の小学生が全国的なエリートになってしまい、周りからチヤホヤされていたので、彼らは校内では威張っていたり、掃除や片付けの類を全くしなかったり、先生がいくら指導しても、言うことを聞かないのは、状況的には仕方がなかったと思うけど、当時の私からは、とてもイヤな人間の集団だった。

当然のことながら、そんなバスケ部が長続きする訳がなく、早々に退部した。そこで父から出てきた次なる話が、フルートを練習したらどうかと言うものだった。フルートはたくさんの息を必要とする楽器なので、気管支を鍛えるのに最適なのではないかと。

しかし、主治医の先生にその話を持って行ったところ、ならばトランペットで良いのではないかと言う出戻り作戦になった。気管支を甘やかすのではなく、ある意味逆療法とおっしゃっていた気がするが、きちんとした呼吸法を身につけるのは良いことだと言うお墨付きをいただいて、金管バンドに復帰した。もちろんトランペットで。

復帰した後は、主治医の先生の見立ての通りで、喘息が再発することは無かった。再発は大学に入ってすぐ起こしてしまったのだが、それはまた別の機会に。

ヤマハのYTR-135っていう品番だったと思うが、親に、はじめての自分のトランペットを買ってもらい、金管バンド経由で、音楽へのめり込んでいくきっかけとなった。とにかく仲間たちと楽器を吹いて合奏してワイワイやるのが本当に楽しかった記憶しかない。今でも基本はそれ。

プロになりたいなんて気持ちは全く無かったが、テレビやラジオ、レコードから聞こえたカッコ良いフレーズを片っ端からコピーして吹こうとしていた。プロの上手さと自分の下手さは、すでに自覚はあった。上手くなりたいと人一倍思っていたつもりだったのかな。とにかく、クラシック、ジャズ、ポップス、歌謡曲、演歌、ジャンルに関係なく真似して吹いていた。in B♭の絶対音感ができてしまったのもこの頃だ。今は大体音感(笑)。

もし小学校の頃にフルートにかわっていたら、、、今頃どこで何をしているのかな。全く想像がつかない。

小学校の金管バンドと喘息の話” に2件のコメントがあります

  1. わたしも5年生の時、気管支喘息を発症し、発作が起こると平らな状態で寝られない(呼吸が苦しいので椅子で体を起こして寝ていました)状態が2年近く続きました。そんな時は唯一の楽しみがラジオを聴くこと、そこで出会ったのがクラシック音楽にムード音楽。以来、音楽を聴く喜びを今も変わらず味わっております。成人する頃には喘息ともおさばら出来ましたし音楽は一生の友となりました。あの時、喘息にならなかったらどうだったかと考えることがあります。

  2. 飯豊さんも喘息持ちだったのですね。発作の苦しさは経験者しかわからない大変なものです。そんな苦しいことがあっても、その後の一生楽しめることに出会われて本当に良かったですね。私も考え様によっては喘息のおかげで音楽を続けることができました(笑)。ラジオから新しい素敵な音楽に触れることの出来た時代が懐かしいです。

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